聖霊降臨後第1主日

三位一体という言葉を聞いて、どんな「図像(イメージ)」が思い浮かぶだろうか。3つの位格、つまり三角形? 父という位格、子という位格、聖霊という位格、その三つの位格が一つなのだから(一体)三角形という図像を思い浮かべる人はけっこう多いのではないだろうか。
あるいは、十字架だろうか。いつも、自分の身体の前で「父と子と聖霊のみ名によって・・・アーメン」と唱えて十字を切っている。だから、三位一体の縦軸は父と子がまっすぐにつながっている。そして、親密な関係にある父と子の愛を横軸に貫く聖霊が全世界に広め、私のところにも届く。そういう愛の象徴である十字架というイメージを思い浮かべる人もいるかもしれない。
どちらも三位一体の図像として間違いない。父である神と子であるイエスがどういう関係にあるのか、何世紀にもわたって教父たちが考察してきた。父と子の交わりから聖霊が発出する、いや、子は父からすでに受けているのだから、子から我々に向けて聖霊が発出するのだ……などなど

「わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました」(ニケア・コンスタンチノープル信条)。

図像やイメージで我々は三位一体のことを語るが、ほんとうのところは三位一体という形式的な何かが存在するわけではない。我々にとって時に「三」という限定された数字が障害の元になることがあるかもしれない。三角形を思い浮かべれば、あるいは、十字を切れば、つまり、ある種の制約的な儀礼の中に包まれていれば、自分は神の愛にアクセスできると思い込んでしまっている、そんな閉じた信仰に陥ってしまうこともあるかもしれない。

マタイによる福音書28章16-20節

2026年5月31日

主日の福音から

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