「神の愛を祝うクリスマス」

クリスマスおめでとうございます。

今年のペテロ教会のクリスマスは、「神の愛を祝うクリスマス」というテーマで過ごします。クリスマスによく読まれる聖書の有名なみ言葉のひとつにヨハネによる福音書3章16節があります。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

神は、ご自分を否定し、敵対する世を「愛された」のです。「神の愛」は、何か優しい温くもりのある愛とは違うでしょう。愛し難い者を愛する苦しみの伴った覚悟の愛、敵する者が傷んでいるのを悲しみ、真に生きることを願う愛です。それで「実に、そのひとり子をお与えになった」のです。

神は、独り子イエス・キリストを人としてこの世に遣わし、私たちの罪をみ子に負わせ、私たちの身代わりにみ子を十字架で裁きました。それは、私たちが「滅びることなく」、罪赦され、裁かれることなく、「永遠のいのちを持つ」、神との関係が回復し、神との交わりに新しく生きるためでした。

さて、北欧にクリスマスにちなんだ伝説があります。
北欧のある小さな町、そのはずれに粗末な馬小屋がありました。この町には、その馬小屋をめぐって、一つの言い伝えが昔からありました。それは年に一度、クリスマスの夜、しかも一人だけ、その年に生まれた病気の赤ん坊を馬小屋の飼葉桶に寝かせると、たちどころに癒されるというものでした。
さてある年のクリスマスの夜、町の人たちは、今年も素晴らしい奇跡を見たいと馬小屋に集まってきました。天のみ使いたちも見守っていました。ところが、どうしたことか、いつまでたっても誰もやってこないのです。病気の子はいないのかと不思議に思ったみ使いの一人は、一軒一軒町中の家を尋ね回りました。すると目の見えない赤ん坊の家を見つけました。さらにみ使いが進んでいくと、重病を患う赤ん坊のいることがわかりました。そして、み使いは、それぞれの両親がこう話し合っている声を聞きました。「私たちは、『あなたの隣り人を愛しなさい。』という聖書の教えに従おうじゃないか。デビーにはすまないが、連れていくことはしないでおこう。」もう一つの家の両親も語り合っていました。「私たちは人の幸せを奪ってまで、自分の幸せを願うことはやめよう。これからもキャロラインと共に苦しみを負っていこうよ。」
その夜、人々が寝静まっても、悲しみに耐えながらじっと赤ん坊を見つめる二人の母親の姿がありました。母親の涙がポロリと赤ん坊の上にこぼれ落ちたその時、目の見えない赤ん坊の瞳は、それを待っていたかのようにキラリと輝いたではありませんか。また、やせ細った赤ん坊も病気が癒され、元気になったのです。自分たちだけの道を捨て、愛の道を選んだ両親に祝福が満ちたのです。
この伝説は、私たちにクリスマスの意味をよく伝えています。特に二人の赤ん坊の両親たちは、偉大な神の愛を証ししています。

まさにイエス・キリストの誕生は、父なる神さまがみ子となられ、私たち人間の重荷を共に負い、私たちの重荷を十字架の死と復活によって取り去ってくださるという、神の愛を指し示しています。

心静め、エゴを捨て、クリスマスに誕生したみ子を、心の王座にお迎えいたしましょう。

2023年12月24日発行
西宮聖ペテロ教会 教報ともしび 第180号

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