顕現後第4主日

福音書の中には、「イエスが教えた」という箇所が何度か出てきますよね。今日の箇所にもそう書かれています。
洗礼を受けた私たちは「キリスト教」という「宗教」に帰依し、人生の道として選んで、キリスト教の教えを聞き従っていこうと心に決めた者たちです。しかし、聖書を読みながら、ふと、「イエスが教えた」という時のその「教え」は、今、わたしが教えとして受け止めている教えと同じ教えなのだろうか、と考えることはありませんか。「イエスは会堂に入って教え始められた」と、今日の福音箇所には書かれています。その会堂は、普段、ユダヤ教の律法学者が教えている会堂です。会堂で話を聞いている人たちはおそらく律法に明るい男性たちだったでしょうし、会堂に入ることのできる特権階級の人たちだったでしょう。いわば、「ユダヤ教」という「宗教」に慣れ親しんだ人たちが大勢集まっている場にイエスは入って、いつも人々が予定調和のように聞いている話とは全く別の話をしたというわけです。もちろん、安息日ですから、いつもいるはずの律法学者は会堂で働いたりはしませんね… だからなのでしょうか。いつもは入れないような汚れた霊に取りつかれた男も迷い込むというハプニング!おやおや、ドタバタ劇のようであります。
さて、わたしたちもじっくりこの場面を想像の目で見てみたいと思います。あなたはこのドタバタ劇の劇中で、どこに座っていますか?
慣れ親しんでいる教会の礼拝で、いつも自分が座る場所に座っているけれど、いつも聞くような話ではない「教え」が語られた。しかも、この男は権威をもって、あなたに向かって衝撃的な話をする。
神の国は今日ここにある!。イエスの福音の衝撃的な教えって、このわたしにとってはこれなので…。
あなたにとってイエスの「権威ある新しい教え」とは何ですか?イエスは律法学者ではないし、あなたやわたしの内でくすぶっている汚れた霊を一喝して追い出す人なのです。今日も彼は、ここに来てくださいますよね。
彼を見つめ、彼の声を聞きましょう。

マルコによる福音書1章21-28節

2021年1月31日

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