顕現後第4主日

神は旧約時代から預言者たち、 洗礼者ヨハネ、そして受肉された御独り子であり、十字架につけられ、死から復活されたイエス・キリストを通して、ご自分の愛、存在を示し続けておられます。しかし、わたしたちはその愛をかたくなに拒絶し、偽りの権威の中で生きることがあります。この生き方は、遠い昔のこと、遠い国のこと、知らない人たち、または逆に「あの人」のことではありません。これはわたしの現実です。今日の福音でイエスは、宣教活動の始めにかたくななわたしたちに「権威ある新しい教え」をお示しになります。
聖書の中の「汚れた霊に取りつかれた男」が体験した「権威ある新しい教え」とはどのようなものなのか、思い巡らしてみました。この男は会堂に入って教えはじめられたイエスが、ナザレのイエスであること、神の聖者であることを知っています。しかし「かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか」と言います。わたしには、この男がイエスのことを、律法学者のように病人や障がい者を罪人とみなし、親族までも差別し社会から滅ぼしてしまう者だと思いこみ、恐怖と怒りに満ちているように見えます。イエスは「黙れ。この人から出ていけ」とお叱りになります。イエスは「汚れた霊に取りつかれた男」ではなく「この人」と呼ばれます。そこには、苦しむ一人の人に対して愛と慈しみにあふれたまなざしを注がれる神の姿が見えます。罪人ではなく人として大切にされた瞬間、この人は自分の人生を歩みだす力と希望を得たのではないでしょうか。そして汚れた霊はその人から出ていきます。イエスは人の内から悪霊だけを取り除くことがおできになるのです。
私はこの祈りの最中、イエスの洗礼の場面、「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて〝霊〟が鳩のように御自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞えた」(マルコ1:10-11)が心に浮かびました。この「権威ある新しい教え」は、父と子と聖霊からの恵みであり、今も全ての人々に豊かに注がれているのだと感じました。

マルコによる福音書1章21-28節

2024年1月28日

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