復活節第2主日

四つの福音書は、最初にイエスの墓に行き、“空の墓”を見つけたのは、女性の弟子たちだったと記す。ナザレのイエスへの愛情が、 マグダラのマリアをはじめ、この人たちをイエスの墓に向かわせた。今日の福音書に出てくる、「十二使徒」と呼ばれた男性の弟子たちは、この婦人たちとは対照的に、復活したキリストの出現を最後に受けることになる。しかも、ユダヤ人を恐れ、自分たちの家に閉じこもっていた、その時、その場で。今日の福音の話を読んで、弟子のトマスは本当にそんなに不信仰だったのかなと思い巡らしている。もし、自分のベスト・フレンドが三日前に殺され、残酷にも十字架上で亡くなったなら、仲間たちが「あなたのベスト・フレンドは生きているんだよ」と言っても、すぐ素直に信じられるだろうか?
特にトマスのように、先生としてイエスを尊敬し、彼を愛していれば、安っぽい慰めのような仲間の言葉を信じたくなかっただろう。それは不信仰というよりも、イエスとの深い愛情の絆を示していると思う。信じられないというトマスの心が痛いほど、わたしの胸を打つ。師であり、ベスト・フレンドでもあるイエスが亡くなったという“損”が、トマスにとってあまりにも大きく、重かったので、その死を真剣に受け止めざるを得なかったのだ。
「十二使徒」はユダヤ人を恐れて閉じこもり、自分たちの家から出られなかった。 そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。復活したキリストが、ご自分の手とわき腹の傷跡を見せてくれ、シャロームの平和の言葉を弟子たちに語りかける。
さて、八日目の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた時に、復活したイエスが再び来て、真ん中に立つ。イエスはもう一度「不信仰のトマス」のために来られる!
トマスとの再会を通して、主はわたしたちにも呼びかけられる。「これからは、信じない者ではなく、信じる者になりなさい。わたしのゆるしと平和の証人になりなさい。」

ヨハネによる福音書20章19-31節

2022年4月24日

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