聖霊降臨後第16主日

今日の福音「金持ちとラザロ」のたとえ話を読んでの分かち合いです。何回も読んでいると、ある情景が見えてきました。まず、この二人が生きている時の情景、高い塀で囲まれた金持ちの大きな屋敷、そこで毎日ぜいたくに遊び暮らす金持ち。その「門」の前には、できものだらけの貧しいラザロが横たわっています。そして二人が死んだ後の情景、大きい「渕」をはさんで上のほうには、アブラハムと共に宴席にいるラザロ、そこには天使や預言者もいて柔らかい光がさしています。心地よい音楽も聞こえてくる感じです。「渕」の下の方には、大声をだしながら炎の中でもだえ苦しむ金持ちがいます。
この情景と「門」「渕」を思い巡らしながら日々をすごしていました。すると二人が生きている時の情景は、私の心のありさまと似ていることに気がつきました。高い塀の中で自分の思うがままにふるまう私、他者に対して無関心で自己中心的に生きる私です。そして反対に、門の外で苦しみながら横たわる私です。たぶんラザロがそうであったように、自分の力ではどうにもならない現実を知り、絶望する私、しかし「神は私の助け」と、かすかな希望の光を信じ待ち続ける私です。「今」を生きる私たちは、この両方、良いものも悪いものも常にもらっていると気がつきました。だから、私たちが経験している門の中、自己中心的な生き方の奥には、「私はこの炎の中でもだえ苦しんでいます」と、不自由さや良心の呵責、罪悪感を感じるところが隠れているのではないでしょうか。また門の外、すなわち貧しさを誠実に生きながら、神の助けを待ち続けるその奥には、すでに神の慰めがあるのではないでしょうか。天の御父は、この金持ちのような罪の状態にある私たちを救うために、イエスを私たちに遣わしてくださいました。 私たちは日々、自分の心の状態を静かに見つめる時間が必要です。私は今、門の中にいるのか?外にいるのか?自己中心的な私に気がついたら、神に助けを求めましょう。そのとき「渕」は消え去るのではないでしょうか。そして復活されたイエスが共にいて、私たちを慰め、励ましてくださいます。日々天の御父を信頼し、「今」を復活されたイエスと共に生きてまいりましょう。

ルカによる福音書16章19-31節

2022年9月25日